カネオト石橋商店について

カネオト物語

潮騒(しおさい)に誘われて、辿(たど)り着く…

潮騒(しおさい)に誘われて、辿(たど)り着く…

ここを訪れる人々は、口々に「辿り着いた」と言う。
“港町 焼津の浜通り”に古くて新しい、
教えたくて教えたくない、そんな老舗があることをご存じだろうか。

百年の時をかけて守られた味

百年の時をかけて守られた味

カネオト石橋商店は、明治35年(1902年)、焼津の浜通りで前浜に水揚げされる鰹(かつお)を使い、なまり節製造を手掛けた事が始まりです。
創業から百年を超え、いかに時代が移り変わろうとも守るべき味があるとの思いで、地元海産物の加工品を主に製造・販売しています。
現在では、代表商品のなまり節以外にも、新鮮な刺身商材や角煮、塩辛、鰹(かつお)のへそといった地元の珍味など、時代に合わせた商品のご提案も行っています。

伝統を紡いできた『カネオト』の音色

伝統を紡いできた『カネオト』の音色

屋号の『カネオト』は、初代石橋音吉の名前に由来しています。
元は武士であった音吉がなまり節の製造を始めてから、実に百年以上の月日が経ちました。
創業当時から港町で働く人々の掛け声や、浜の波音、漁船の汽笛など、心を打つ『音たち』が受け継がれてきたように、伝統の味も静かに、しっかりと受け継がれています。

『最高屋』としての誇り

『最高屋』としての誇り

カネオト石橋商店は二代目となり大阪市場での取り扱いが始まると、『最高屋』と呼ばれ、仲買人から特別な存在として知られるようになりました。
『最高屋』とは、その日に市場に出される商品の中で、最も質の良い品を作る生産者に与えられた愛称で、セリに出る前に高値で買い取られてしまう程に信頼されていました。
現在でも『最高屋』の名に恥じぬよう、素材選びから商品づくりまで徹底してこだわり続けています。

カネオト石橋商店の歴史

カネオト石橋商店の歴史

焼津のカネオト石橋商店は、びん長まぐろ(鮪)や鰹(かつお)の生利節の製造を主としている。
初代店主は「石橋 音吉(おときち)」で、屋号の『カネオト(音)』は、ここからきている。
祖先は、藤枝の田中城の武士であったとの事。
初代 石橋音吉が、焼津の浜の近く(横町地区)で、なまり屋(水産加工業)を創業し、そして、2代目は友次、3代目は松雄、4代目は利文にへと受け継がれた。

カネオト石橋商店の歴史

2代目 石橋 友次の時は、鰹(かつお)のなまり節以外にも、かつをの塩辛、黒はんぺんの製造も手掛けた。友次の妻の花子は、浜松の新居町より嫁に来て、友次を手助けした。
3代目 石橋松雄の時に、鰹(かつお)のなまり節以外に、びん長まぐろのなまり節の製造も手掛けた。
これに伴い「びん長まぐろの刺身用ブロック」も販売し始め、また最近では、前記の商品に加え、へその味噌煮や無添加の佃煮といった魚の加工業者ならではの商品の製造も手掛け始めた。

カネオト石橋商店の歴史

現在、4代目 石橋利文に受け継がれ、鰹(かつお)・鮪(まぐろ)の加工の専門店として、焼津に由来する商品の製造販売事業を展開し、自店の商品の紹介や、美味しい食べ方の情報の発信を手掛けている。
また、焼津の観光スポットや楽しみ方、グルメ・食の名店や居酒屋レポート等の情報も発信し、焼津のまちづくりに貢献している。

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